幸せは「質」より「量」【著・松本千登世】『結局、丁寧な暮らしが美人をつくる。』【特別全文公開】

幸せは「質」より「量」【著・松本千登世】『結局、丁寧な暮らしが美人をつくる。』【特別全文公開】

美容ジャーナリスト・エディターとしてVOCEでも出演、取材、編集、執筆と活躍中の松本千登世さん。その美しさと知性と気品が溢れる松本千登世さんのファンは美容業界だけにとどまらない。こちらの美容エッセイ『結局、丁寧な暮らしが美人をつくる。』(講談社)から、ぜひ今日も、「綺麗」を、ひとつ、手に入れてください。

幸せは「質」より「量」

 どうも仕事がはかどらない。その日私は、気分を変えようと、カフェでひとり、パソコンと顔を突き合わせていました。おそらく、眉間にシワを寄せ、口角を下げ、「誰も邪魔しないでね」という雰囲気をぷんぷんに漂わせながら……。

 ふと気づくと隣の席に30歳くらいの女性がふたり。私より先にいたのか、それとも後で入ってきたのか定かじゃないけれど、きりきりした私とはまったく逆の穏やかな雰囲気に脳が自ずと反応したのだろうと思います。「これ、美味しそうだね」、「近くに公園があるんだ」、「コロッケ買ってゆっくり散歩して、夕焼けとともにビール、って最高じゃない?」。会話があまりに心地よくて、つい彼女たちに目をやりました。すると? 綺麗に整えられた髪と肌、ナチュラルなメイクに力の入り過ぎていない洗練されたファッション……。そして、ふたりの間には、「Hanako」。どうやら特集を見ながら、週末の過ごし方をああでもないこうでもないと相談しているようでした。ふたりが醸し出す穏やかな空気に触れて、さらに私は彼女たちを好きになり、自分の眉間と口角をちょっぴり反省しました。

 ちょうどそんなとき、友人から届いた1通のメール。「私、幸せって美味しいものを食べたときとすごく似てると思う。ふわっと、胸の奥で一瞬感じて、じわーっと余韻が広がって、でもずっと捉まえてはいられないもの、って感じ。だからこそ、ちゃんと幸せの瞬間瞬間をキャッチできないと、いけないな、って……。そう、幸せって明らかに質よりも量って感じがする!」

 そうだった! 幸せは質より量。オレンジ色に肌を染めながら、熱々のコロッケをほおばり、冷えたビールをきゅーっと……。誰もがすぐに実現可能な何気ないひとこま、でもそれこそが愛おしい日常。そんな日常をどれだけ幸せと感じ、それを積み重ねられるかで、人生はまるで違ってくるはず。心地いい時間をできるだけたくさん創り出せる女になりたいと思います。幸せはきっと、そういう女にやってくるのだから。

「決める」と「決められない」の差は、心の澱(おり)になる

 出会いから十数年? いや、それ以上? 公私ともにずっと付かず離れずの距離にいて、ことあるごとに刺激を受けている人がいます。つねにアンテナを張り巡らし、ぴんときたものには軽やかに反応してすぐさま動く。そのためなのでしょう、会うたび、この人は生き生きとした新鮮な顔を見せ、まるで遡るように年齢を重ねています。大人になるほどに、印象が若返る……。そんな彼女を観察し続けて、ようやく気が付きました。この人には並外れた判断力が備わっているってこと。生まれつきの性格なのか、努力の賜物なのか? ぶれない、迷わない、だから判断が誰より早い。要るもの要らないもの、欲しいものそうでないもの、できることできないこと、したいことそうでないこと、すべてをあっという間に「感覚」で仕分けているのです。

たとえば、仕事の依頼。少し難しいと思っても「3日考えさせてほしい」と時間をもらう私。それに対して彼女は、無理をして迷惑をかけるくらいならとすぐ「ごめんなさい」と断る。たとえば、資料の整理。いつか必要になるかもと取っておく私に対して、今、要らなかったらその場で捨てる彼女。買う判断も食べる判断も、すこぶる早い。たとえ選び取った結論が同じでも、この時間差は私の中に、澱のように溜まっていく……。代謝していく彼女、代謝できない私、それが、印象のみずみずしさの差に違いありません。

 そして、判断力がある彼女には、余計なこと、無駄なものが寄ってこないから、疲弊しない。結果、つねに心も体も健全。上機嫌で前向き、予想外のことが起こっても瞬時に跳ね返すことができるのだと思います。周りはその健全さに不思議と吸い寄せられてしまう……。

 それは、表面だけの美しさではとても太刀打ちできない、美の底力。みずみずしい人が、誰よりしなやかで強い理由なのです。

何かを失うことは、別の何かを得ること

 締め切りに追われ、来る日も来る日もパソコンの前に張り付いていました。一日のほとんどを椅子に座り、同じ姿勢で過ごすのは意外と辛いもの。いけないとわかっていながら、脚を組んだりあぐらをかいたり。そろそろ夕飯にしようかな、と立ち上がると……? あれっ、腰の右半分がなんだか変。ずしんと重苦しく、きゅーっと締め付けられるよう。もしかしてこれがぎっくり腰? その日から歩くのも座るのも、眠ることさえままならない。ありとあらゆる行動を制限される数日間を強いられたのです。駅の階段を上がるのは時間がかかるし、電車に走って飛び乗るなんてできないから、早めに家を出なくちゃ。待ち合わせ場所にも10分前には到着しないと。いつもなら片手で乱暴に持つところを両手で丁寧に。足元にあるものを持ち上げるのはいちいち腰を落とし、そっと……。ふと、気づきました。このうえなく不自由、でもだからこそ、行動も仕草もいつもより丁寧でエレガントじゃないかって。

 テレビで見かけた『世界から猫が消えたなら』の作者である川村元気さんのインタビューを思い出しました。この物語を思いつくきっかけになったエピソード。携帯電話を落としたとき、親の電話番号さえわからず、ショックを受けたこと。携帯電話がないだけで電車の中で手持ち無沙汰になる自分に気付いたこと。仕方なく外を見ていたら、虹がかかっていて感動したこと。そして、無くすことは何かを得るチャンスだと感じたこと……。周りは皆、携帯やスマホの画面に見入っていて、空を見ている人なんて誰ひとりいない、そんな状況だったと言います。人は何かを失うと何かを得るもの。だから、失うことは決して悪くない。思わず、この言葉にはっとさせられました。そう思った途端、年齢を重ねることが少しだけ怖くなくなったのです。老化は成熟、それと同義な気がして。

「華」のオンオフは、女の幅

 ロケ先での撮影。昼間は、黒のカットソーに細身のデニムだったはず。ところが、いったん解散して、夜、食事に行くために再び待ち合わせすると? さっきまでのシンプルさとは打って変わって、すごく女っぽい印象。まるでそこだけにスポットライトが当たっているかのような華があって、その存在に目を奪われました。そうとは言え、決して着飾っているわけじゃない。よくよく見れば、撮影時と同じカットソーなのに、引っつめていた髪がゆるやかなウェイブになっていたり、目元や口元に少しだけ艶と煌めきが加えられていたり。そういえば耳元や胸元にアクセサリーが揺れてるし、足元が繊細なヒールに替わってる。ほんのちょっと、なのにその「差」に同性である私がときめいたのです。

 この人は、尊敬するあるスタイリストの女性。彼女は、自分が今、求められている役割は何か? 相手はどんな状況なのか? 場所は東京なのか、ハワイなのか? 相手との関係性や距離感から、その場所、その時間の温度や湿度までもつぶさに捉えて、印象を微調整する人。卓越したセンスはもう、持って生まれた「運動神経」としか言いようがないものです。そして、観察するうち確信しました。この絶妙な美しさのバリエーションは、「女を楽しむ」というスタンスから生まれてる。だから私たちはことあるごとに彼女に会いたくなる。いろんなシーンで、いろんな場所で、いろんな時間に彼女の華に触れ、刺激を受けたくなるのだって……。

 いつでもどんなときも、女をとことん楽しまなくては! 誰に会うのか、どこに行くのか、どんな気分か、そして何より、どんな女性でありたいのかを日々自分に問いかけながら。口紅を変えてみるだけでいいのだと思います。すると、肌色が明るく見えたり、瞳が輝いて見えたり。そして口角が上がり、表情が華やいでいることに気付くはず。こうなったらしめたもの。知らず知らずのうちに、華が生まれてる、あなた自身に。


結局(けっきょく、丁寧(ていねい)な暮(く)らしが美人(びじん)をつくる。今日も「綺麗(きれい)」を、ひとつ。

《松本千登世さんの美容エッセイを全文公開中!前回の記事はこちら》
『結局、丁寧な暮らしが美人をつくる。』 今日も「綺麗」を、ひとつ。【特別全文公開】 著・松本千登世

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