【齋藤薫の美容自身】捨てられない女は、やっぱりブスになる?【いらない服も感情もすぐ捨てる技】

【齋藤薫の美容自身】捨てられない女は、やっぱりブスになる?【いらない服も感情もすぐ捨てる技】

人気連載「齋藤薫の美容自身 STAGE2」。 今月のテーマは "捨てられない女は、やっぱりブスになる?いらない服も感情もすぐ捨てる技" について。毎月第2水曜日更新。

もっと理由がないと、捨てられないのが人間のサガ

 「断捨離」という言葉とともに、いらないものを捨てることが、心の浄化にもつながること、もうみんなよく知っている。よーく知っているのに、それでも上手に捨てられないのは、やっぱり人間のサガなのだろうか?

 いらない服を捨てることに関しては、さまざまな方法が提案され、その本はことごとくベストセラーになる。みんな本当に捨てたがっているのだ。それでもなお捨てられない。忙しい。面倒くさい。やっぱり、もったいない……だから結局捨てられない。そこにもう一つ二つ、絶対的な動機がなければ、人間、自分のものを捨てるのは無理なのではないか?

 例えばだけれど、「着なくなった服を捨てられずにいると、人間どんどん野暮ったくなる。いや、ブスになる」……としたら、どうだろう。いやこれは紛れもない事実。どうしても捨てられないのは、いつか必ず着ると思っているからであり、そう思って捨てなかったことに、人はある種の義務感を感じてしまう。つまり機会あらば、着ようとする。それでも、やっぱり着る気になれなければセーフだが、何とか着ようとしてしまうと、スタイルはくずれていく。明らかに時代遅れになった服はもちろん、数年前のトレンドも立派な時代遅れ。みんなの記憶にある“終わったトレンド”こそ、野暮ったく見える大きな要因なのだ。

 さらに言えば、ぎゅうぎゅうに詰まったクローゼットを眺めても、いいコーディネートへのひらめきなど生まれるはずはなく、言うならばセンスが退化していく。捨てるべきなのに捨てられない服が増えていくにつれ、オシャレが下手になり、感性も鈍っていくのだ。そして女は、1%でも野暮ったくなると、その10倍の魅力が減ってしまう。野暮ったい美人は、美人には絶対に見えない時代だから。

 断捨離に、命そのものを磨くような浄化作用があるのは確か。だから間接的に美しさにつながるのは疑いようがない。だけれども、実際にいらない服を捨てられないことは、もっと直接的に、物理的に女を野暮ったくし、そしてブスにする。もしそうなら、いらない服を捨てずにいる勇気、あなたにあるだろうか。

 最近は、「女が男に捨てられる」という概念はあまり現実味がなくなったが、昭和の時代はまだ、男が女を選ぶという基本形があったからこそ、女は男に捨てられがちだった。今ではすっかり男の毒気が抜けて、リリー=ローズ・デップのお父さんとしてのほうが通りがよくなってしまった、かつてのモテ男、ジョニー・デップも、数年前に再婚をした相手、アンバー・ハードにDVで訴えられたが、昔はトップモデルやトップ女優と次々に婚約しては、彼女たちを“捨てる”という形で別離した。『シザーハンズ』で共演したウィノナ・ライダーも、そして未だカリスマであり続けるケイト・モスも、彼に捨てられる形で少し精神を病んだりもした。そういう意味で、女はやっぱり弱者。深く傷ついてしまうから、捨てられる前に捨てるべき生き物なのだ。

 男と女は、そもそも出会いが間違っていた場合、捨てるか捨てられるか、やっぱりニつに一つな訳で、だから自ら関係を捨て切れない女は、結果いつも捨てられる。捨てられないから捨てられる、そういう図式が成り立ってしまうのだ。関係が危ういのに、グズグズ捨てられないから、傷つけられる。男女関係でも捨てられない女は損をするのだ。その方程式は、人生における他の要素にもそっくりそのまま当てはまる。ゴミを捨てられない女が、やっぱり幸せになれないように。

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悪い感情を溜め込む人は、人生がどんどん重くなる

 人間は体重以外に、別の重さを持って生きている。何も捨てられずに、どんどん重いものを溜めていってしまう人は、ものすごく体が重い。だからどんどん動きが鈍くなり、新しい場所へ身軽に出かけていけなくなり、さらにズルズルといろんなものを背負い続けてしまうという悪循環。取り立てて原因がないのに心が重い人も、いろんなものを引きずりながら生きている人に違いないのだ。

 そして、体と心を重くしているのは、過去の出来事ばかりではない。怒りや哀しみ、心に引っかかったあらゆる負の感情。嫉妬心や強迫観念などはその最たるもの。みんな過ぎたこと、と克服しているつもりでも、知らない間にオリのように溜まっているのが、負の感情だからである。とくに、忘れたつもりでいる後悔や恥の感情など、その都度片付けないと、知らない間にどんどん積み重なって人を重くする。多くの人がそういう重さを抱えて生きているのだ。

 朝起きるのがつらく、出かけていくのが億劫な人。約束はしたものの、当日になると人と会うのが気重になってしまう人。毎日帰宅するたび、やたらぐったりする人。毎日が来ることに期待や喜びよりも、不安や心配のほうが多い人。それはまさしく体と心の重さを、人生そのものが重くなっていることを物語る。ただ、多くの人にその自覚はない。自分の体の中の有り様は、見えないもの。断捨離すると、体が軽くなったように感じるけれど、それだけに心の中も時々断捨離して、自分自身と人生を軽くしなければ。

 じゃあどうしたら、感情の断捨離ができるのか? 自分をいたわるために人がすることは、ひたすら“癒やし”。でも正直、“癒やし”くらいで人は癒やされない。もっともっと強く心を揺さぶらないと、心にこびりついた堆積物は溶け出さない。一気に浄化したいなら「今まで生きていてよかった」くらいの感動を覚えること。それも、人に感動することなのだ。ストレス解消としてよく提案されるのが、コンサートだったり絵画鑑賞だったりするけれど、とりあえずそこに行っただけで安心するのでは何の意味もない。気休めにしかならない。息を飲む とか、目を見張るとか、立ち尽くす とか、日常生活では体験できない心の震え、感情の振り幅、そういうものを知らない人は、真の感動を知らない人。本来感動というものは、人生観や死生観を変えるぐらい、人にとって絶対のパワーがあるものなのだ。

 そしてできるなら、人は悪い感情ほどその場で処理すべき。その場で? そんなことができるの? と言うかもしれない。これはぜひ、知っておいてほしい。そんなこと? と鼻で笑うはずだけれど、これが実によく効く。言葉にするのだ。他者に対しての怒りや失望を、ちゃんと正直な言葉にして、メールする準備を。いや準備はするけれど送らない。紙に書くと重すぎるけど、メールはすぐに消去できるから。過激な言葉でも構わない。一度言葉にしてみるのだ。不思議なことに言葉にすると気が済んでしまう。そしてこんな言葉を相手に送ったら、自分自身が傷ついてしまう……メールの文面がそのことに気づかせてくれるのだ。だから後は消去するだけ。それが感情の処理である。バカバカしいと言わないで。言葉にするのは客観性。冷静になる最高の手段。試してみたい。本当に楽になる。そして心の中が浄化される。

 一方、自分自身に対する感情も同様に言葉にしたい。スマホのメモにでもして。言葉にすると完全に整理され、いらない感情はゴミにして捨てることができるから。ともかく言葉にされた感情を改めて読み返すと、自分自身にも客観性が生まれるのだ。自分はこんなバカなことを考えていたのだと反省したり、自分自身に呆れたりすることもできる。一番いけないのは、心の中に残しておくべきではない感情を、いつまでもモヤモヤモヤモヤ心に住まわせておくことなのだ。

 いずれにせよ、いらない感情を心のクローゼットにいっぱいに詰め込んでおくと、いい感情のコーディネートができなくなり、心がいつも少しくすんだような状態になっていく。だから人間冴えなくなるのだ。服の整理と同様、心の整理整頓こそ、洗練された美しい人生の絶対条件であること、肝に銘じてほしいのである。

撮影/戸田嘉昭 スタイリング/細田宏美 構成/寺田奈巳

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