【齋藤薫の美容自身】今ますます言葉の時代。
言葉で得する女、損する女。

【齋藤薫の美容自身】今ますます言葉の時代。 言葉で得する女、損する女。

人気連載「齋藤薫の美容自身 STAGE2」。 今月のテーマは “今ますます言葉の時代。
言葉で得する女、損する女。” について。毎月第2水曜日更新。

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日本語をこの上なく大切にしてきた人の国際結婚

 “別格女優”との呼び声も高い、中谷美紀さんがセンセーショナルながら、何とも“らしい”結婚をした。文化の薫り漂う“稀有な人”という印象がずっとあったから、お相手が天下のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のヴィオラ奏者だったのは、強烈な説得力があった。

 ちなみにこのウィーン・フィル、世界の数あるオーケストラの中でも別格中の別格で、何よりオーストリア国内で最もステイタスの高い職業といえば、この楽団の団員。ウィーン・フィルの団員の妻になるのも同じくらいステイタスらしく、以前のコンサートマスター夫人が日本女性だったことから、どうも日本にもウィーン・フィル婚活的組織というのがあるとかないとか。まぁそれほど憧れの立場を美人女優があっさり持っていってしまったことで、地団駄踏む人は少なくないはず。とはいえ、中谷さんは正直、茶々を入れようがないほど完璧だった。

 あの結婚報告の筆書き自筆の手紙を見ただろうか。もともと筆マメな人で、関係者へのお礼の手紙も、常にこうした手書きのものだというから、結婚報告だけ格好をつけたのではない、この人にとっては自然なこと。しかし注目度が高いだけにその達筆ぶりと、マナーをわきまえた文面に誰もが舌を巻いた。

 しかも、単に挨拶文の決まり文句を並べた、体裁を整えただけの手紙ではない。「共に齢(よわい)を重ねて参りたいと存じます……」というように、年齢を考えると古風にも思える表現をも巧みに使いこなし、隙がないのに不思議に嫌味のない書簡となっている。

 またブログでの結婚報告も「……語るべき物語を携えた誰かを演じる日々と、何者でもない自分に戻る日の緩急をつけて、これまで通り大切にお仕事をさせていただきますので……」という一文にも目を見張った。何とも印象的な表現である。どこまでも言葉を大切にして生きている人であることがうかがえる。こうした美しいボキャブラリーを持っていること、それは何より端的に、この人の内面の魅力というものを伝えてしまう。なぜなら言葉は、いきなり身につくものではない。これまでの生き方の結果のように、血となり肉となり、その人を装飾するものだからである。

 中谷美紀さんがなぜ孤高の女優に見えたのか? 演技力はもちろん、仕事に対する姿勢なども素晴らしいといわれるが、人間の別格感は、プロフィールが作るものではない。紛れもなく醸し出す空気感がもたらすもの。そういう意味で重厚な空気を作っているのが、言葉の美しさや豊かさなのだと思う。

 もっというなら“知性”というものは、まさにこの言葉が生み出すもの。“知性と教養”の教養は、やはり知識そのもの、どれだけ物知りかだけれども、ふわっとした知性こそ、言葉の資産が作るものなのだと思う。

 少なくとも今はSNS等々で誰でも自己表現ができる時代、とはいえブログにしろTwitterにしろ、やはり評価の鍵を握るのは言葉。本が売れなくなっても、言葉はさらに重要なツールとなっていく。この傾向はこの先も続くはずで、人の魅力を作るものとして、ひょっとすると言葉は外見と同じくらいの重要性を持つようになるのではないだろうか。

 いや今だって同じ、昔から同じ。人はいくら美しくたって、会話で言葉の貧しさが伝わってしまった途端、あらゆる見た目の美しさは無駄になる。知性なき美しさはありえない時代になっていくのだ。

変な日本語をなぜ快感に思うのだろう?

 ただその一方で、変な日本語を使う人もまた、ある種の魅力を放ってしまうという話をしよう。いうまでもなく、滝沢カレンという人。今や大変な人気を博し、バラエティーはもちろんのこと、モデルとしての価値もぐんぐん上がっており、ついにコーセーまでが契約を果たした。

 いやもともとコーセーは、多少のリスクを承知で他のメーカーが尻込みするような契約をあえてやってのけ、結果勝利を収めるというパターンを繰り返してきた。しかし、ちゃんと魅力の潜在能力を見極めての起用であり、今回もそれが見事に当たった形。

 大体がこの人、完全にいじられキャラとなるかと思いきや、日本語の使い方においても今や大逆転の様相を見せているのだ。そもそも知性がないと使えない四文字熟語の独創的な表現で注目を浴び、何よりいろんな人を四文字熟語のあだ名で表現する才能は、むしろ天才的。見事なあだ名作家としては有吉弘行が有名だが、奇想天外にして本人の特徴をあまりに的確に表すウイットに富んだ四文字選びは、彼以上との説もある。

 何よりも驚きなのが、朝日新聞デジタルという、書評なども扱う文芸色とカルチャー色が極めて高いサイトで連載を持っていて、さまざまな小説を自分なりの解釈で語ること。解説ではなく、本のタイトルから着想を得た完全オリジナル。何でも「読書は大好きだけれど、1行読むたびに想像が膨らんでいってしまって、結局一年に1冊くらいしか読めない」んだとか。だったらその果てしない想像力による創作を、そのまま語ってもらおうというのがそのコラム。

 それもまた、奇想天外にして緻密な物語になっていて、あだ名をつける才能とも通じる人間観察力が、人並み外れていることを物語る。視点の違いどころの騒ぎではない、まったくの異次元で世の中を見ているのだろう。だから、宇宙人と話しているような興奮に見舞われるのだ。

 最初は面白がっていた人も、一般的ではない日本語の捉え方に、不思議な魅力さえ感じるようになっていたということ。むしろ、この人の話をいつまでも聞いていたい気がするのはなぜなのだろう。そういえば、ローラが登場した時も同じような快感を覚えた人が多かった。誰彼構わず、タメ口をきく野生児的な喋りに皆一様に驚いたはずだが、やがてそれが何とも心地よくなっていった。文化人にはこの人の喋りのファンが非常に多かったともいわれる。ローラの場合、相当に頭の回転が速いことは明らかだったが、滝沢カレンはしゃべる内容がまったく予測できないものだけに、さらに言葉が重くなる。いつか小説でも書くのだろうか。そのまた攻略本などが出たりして。

 どちらにしても、言葉はその人から出ていく、もっとも強烈なファクター。見た目以上にその人の印象を決定的にするのは間違いないのだ。いうならば、美しい言葉を正しく使える人だけじゃなく、いかに不思議な日本語を無軌道に使っても、力強い言葉はちゃんと魅力になるということ。それはやはり言霊の力なのだ。

 単純に言葉が軽すぎる人には魅力がないのも、中身が空っぽで何も伝わってこない話に腹が立つのも、魂が入っていないから。技巧に走る話術も、自分はこんなに難解な言葉を駆使できるすごい人間なのだという自慢が先行し、魂がなければ聞きづらく疲れるだけ。おそらく滝沢カレンの言葉には魂が一つ一つきっちりと入っているから、腹も立たず、聞く言葉すべてが新鮮で、快感にすらなるのだ。

 最近は、魂を込めた言葉を理路整然と話せる若者が増えている。フィギュアスケートの紀平梨花選手から、パワハラを告発した女子体操選手まで、才能がある人たちの言葉はちゃんと重い。永野芽郁とか中条あやみとか、若くして活躍する女優たちの言葉も重い。言葉の重みは年齢ではない証。いや、今ますます言葉の時代だという証でもあるのだろう。だからこそ、歳を重ねるほど一言一言に意識して魂を込めよう。立派な言葉を使う必要はない。一つ一つの言葉を心臓から出していく感じ。イメージだけでいいからやってみてほしい。語尾までをきちんということも忘れずに。それだけでいい。それだけであなたの価値がはっきり変わる。言葉はあなたそのものなのだから。

撮影/戸田嘉昭 スタイリング/細田宏美 構成/寺田奈巳

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