【齋藤薫の美容自身】大きな試練にぶつかった時、決して押しつぶされない方法

【齋藤薫の美容自身】大きな試練にぶつかった時、決して押しつぶされない方法

人気連載「齋藤薫の美容自身 STAGE2」。 今月のテーマは “大きな試練にぶつかった時、決して押しつぶされない方法” について。毎月第2水曜日更新。

大人気連載「齋藤薫の美容自身」の全アーカイブはこちらで公開しています。是非ともチェックしてくださいね。

苦難に直面した時、あなたなら何を語るのだろう

 アリス=紗良・オットというピアニストがいる。日本とドイツとのハーフで、とても美しいことから日本でも注目を浴びたが、10代の時から数々のコンクールに優勝していて、むしろ世界では若手トップクラスの実力派として有名。最も忙しい演奏家の一人である。

 先ごろ、この人にまつわる驚きの事実が報道された。去年の秋から体調不良を訴え、検査を重ねてきた結果、「多発性硬化症」と診断されたというのである。

 さまざまな症状があるものの、ともかく心配されるのは手足の感覚が鈍ってうまく動かなくなる代表的な症状。超絶技巧の曲をとりわけ得意とするこの人が、今どんな思いでいるのだろうと思うだけで、生で演奏を何度も聴いた者として胸が痛くなる。でも最初の報道があって間もなく、この人がホームページで発信したコメントはむしろ感動的なものだった。

 ここ最近、体調をくずしコンサート活動にも影響が出てしまい、不安に思われた方もいるはず、とまずファンに謝罪。やはり指が思うように動かなくなるという自覚症状があったわけで、それを詫びることの辛さはさすがに想像がつかない。

 当初「私の世界はくずれ、次から次へと続く検査の間、恐怖、パニック、そして絶望感に襲われ続けました。この診断は、何を意味するのか? 私の人生に、私の仕事にどんな影響を及ぼすのか?」と苦しんだことも告白した上で、こう語っている。カミングアウトすることは、弱さではなく己の環境と進む道を勇気づけていくものだと。

 ちなみにこの人は、病気について誤解をしていたとも語ったが、病名を聞いた時に彼女の頭をよぎったのは、かつて一世を風靡した伝説の女性チェリストの存在だったはず。10代半ばで天才少女と騒がれて以降、10年間圧倒的な人気を博したスーパースター。しかしデビューから10年、26歳で同じ硬化症となり、2年後、日本公演をキャンセルしたまま引退に追い込まれる。同じように10代で天才少女と騒がれた人。自らにその人の運命を重ね合わせてしまっても、少しも不思議ではないのだ。

 しかし今は、治療法も進歩している。現在も治癒は不可能とされるが、希望を持つことで、演奏活動も続けられるかもしれない。7月の日本公演も含め、コンサートは27本、予定されているシーズンのコンサート活動へ意欲を持って臨むと、明言。音楽ファンを驚かせ、そして大いに感動させたのだ。

 言うまでもなくつい最近、水泳の池江璃花子選手自身による白血病の公表が大きな衝撃をもたらしたばかり。なぜ才能に溢れ、しかもその才能に溺れることなく、誰よりも頑張っている女性たちが苦しみを味わうのか? 神様は何を見ているのだろうと、思わず腹立たしくなるけれど、本人たちはこちらが恥ずかしくなるほどの立派な言葉を記している。

 “時に人生は人を思いがけない道へと誘い込み、今、私はその新しい道の入り口に立っていて、そこから最善を尽くすかどうかは自分自身にかかっている”まずそう語ったのは、アリス=紗良・オット。30歳になったばかりの女性になぜこんな言葉が作れるのだろう。人生終盤になっても容易に語れることではない。

 そして池江選手はこういった。「私は、神様は乗り越えられない試練は与えない、自分に乗り越えられない壁はないと思っています」池江選手は18歳である。今やこうしたことは、年齢では何も測れないことはわかっていても、やはり驚かずにはいられない。

 そして改めて気づかされたのは、本当の意味で試練という言葉を使っていいのは、本人だけであるということ。他人が誰かの試練について語ってはいけないのはもちろんだけれど、試練がどんなものであるかも、その本人にしか絶対にわからないから。

 さらにいうなら、その受け入れがたいことが自分に与えられた試練だと思えるかどうか。そこに人間のある種の質が現れるということ。だから「神様は乗り越えられない試練は与えない……」という、本質の本質を突いたようなこの言葉が、狂おしいほどに胸に迫ってくるのである。

何か事が起きた時、自分も知らない人間性が現れる

 当たり前の日常の中では、自分自身すら自分という人間の本質をよくわからないまま生きている。だから大きな災害などがあった時、身近な家族の本質を見て驚いたりするのと同じように、自分自身の人間性を、初めて垣間見ることがあるはずなのだ。今のこの人たちのように、想像もしなかった大きな困難に見舞われた時、一体何を思えるか、一体何を話せるか、そこに知らなかった自分という人間が示されるといいたいのである。

 奇しくも、アリスも池江選手も、自らが見舞われた、同じ難病と闘う人たちへのエールを送っている。それが心からのものであることは、嘘ではなく、本当にしみじみと伝わってきた。この人たちは、もうすでに一つ上のステージに上がっていて、だから本当にそう思えるのだろう。それだけの道を歩いてきた人たち。それだけ惜しみなく努力してきた人たち。そうした生き方が、魂レベルを一つ上げてしまったのだ。

 もちろんこの人たちと同じように感じることはできなくても、ちょっと自分に問いかけてみてほしい。何か予測できなかった苦悩に見舞われた時、それを自分に与えられた試練というふうに捉えられるだろうか? そしてそれに、ただ押しつぶされるのではなく、乗り越えられる試練と思えるかどうか? これからの生き方の分かれ道が、何かそこにあるような気がするから。

 試練については、あの小林麻央さんも自分のブログに書いていた。「……今も、試練です。何事も、苦労のように思ってしまう時は、いつも負けそうだったことを、思い出しました。試練と思える時は、まだまだ心に力が湧きます」と。苦労ではなく、試練と思えば苦しくない、力が湧く……本当の試練を味わった人たちは、この上なく素晴らしい思いを静かに、穏やかに語っているのだ。

 試練。“信仰・決心のかたさや実力などを厳しくためすこと。またそのための苦難”。決心の固さや実力などを厳しく試す……それはまさに、苦しむことではない。厳しく自分を試すこと。もともとがとても過酷だけれど、前向きな好意を示す言葉なのだということがわかる。だから、試練ならば乗り越えられるということが、一つの法則として体の中にするすると入ってくるのだ。紛れもなくこの人たちが教えてくれた試練の定義。

 そして何となくでいいからイメージしてみたい。自分だったらどうだろうと。同じように苦しんでいる人がいることに、思いを馳せることができるだろうかと。もちろんこればかりは、何事かに直面してみなければわからない。しかしその何事かがあった時、この美しい女性たちの言葉を思い出してみてほしい。奇しくも二人が、「他者の支えになりたい」という意思を持ったのは、病気になった自分自身を支える新たな生きがいなのかもしれない。心の強い人は、そして成功する人は、どんな状況にあっても生きがいを見つけることができる人たちなのだ。

 人生のいろいろなことは、よくも悪くも誰かの人生に教わることが多いのだけれど、こんなふうに試練の何たるか、気高く生きるとはどういうことかという、人生のとても重要な部分を、今回ばかりは深いところまで教わったような気がする。だからこそ自分事として、一日も早い回復を待ちたいと。そこまでを含めて、教えてくれる出来事である。

撮影/戸田嘉昭 スタイリング/細田宏美 構成/寺田奈巳

関連キーワード

関連記事